もう一度太鼓台を担ぎたいという気持ちを胸に
3年前、脳出血を起こし車椅子に座ることすら困難な状態から、今では1人で散歩に出かけられるほどの奇跡の復活をされた小泉和夫さん(76歳)とその奥様にお会いしてきました。
当時は要介護認定を受けており病院でリハビリをしていましたが、約1年前からは要支援になり、地区の運動教室に月1回通う程度の支援になりました。
辛かったリハビリ、日々の努力。
今でも、毎日朝昼晩の3回、歯磨きの時のスクワット。そして、食事の前の口周りの筋肉トレーニング、散歩など…。筋力を衰えさせないようにしています。リハビリを兼ねて部屋のモップがけをしたり、日々の努力は欠かしません。
-リハビリはどうでしたか?大変でしたか?
和夫さん:帰って来たときは歩くどころか、車椅子にも乗れないくらい。目標は何ですか?と病院の先生に言われて「1人で杖をついてでも歩行出来るまで」と言いました。ただねーリハビリは相当きつかったですねー。リハビリの先生が「絶対歩けるようにします!」とおっしゃったからね、頑張りました。
奥さん:まだ左手が物をつかんだりするのがだめなんですよ。
4ヶ月入院してました。
救急車乗ったときに嘔吐して、誤嚥性肺炎になっちゃって。1ヶ月ベッドの上のリハビリだけになってしまって。私がつきっきりで泊まり込んで指の関節の曲げ伸ばしをしました。
娘達も交代で付き添ってくれたりして、本人もだけど家族みんなで頑張りました。
あの時は、まさかこんなに歩けるようになるとは思っていませんでした。
孫がいてくれたから頑張れた。奥様と家族の支え
-辛かったリハビリを乗り越え、未だに努力し続けられる秘訣はありますか?
和夫さん:孫達がしょっちゅう「じぃじ、頑張ってる?」って電話してきたり、小包送ってくれるときもね、必ず「じぃじ、リハビリ頑張って!」って手紙を書いてくるから励みだよね。
家の中にも沢山のお孫さんからのお手紙や絵、写真が飾られています。
奥さん:日向の中学3年の孫の運動会が5月にあるんですよ。だから、リハビリ頑張っておかんと行かれんよ!って励ましています。なんかがないとね、頑張れんよね。
-お孫さんはかわいいですか?
和夫さん:(満面の笑みで)そうですね。
奥さん:前は滑舌も悪かったからね。ご飯前に「パタカラ」を言わせたり、「アメンボ赤いなあいうえお」を言わせたり。ご飯前に「言った?」って聞くと時々「言ってない」ってさぼることもあるけどね。笑 自分が困るよ?私は困らないよ?って言っています。
太鼓の音に血が騒ぐ。もう一度あの興奮を味わいたいから。
脳出血を起こす前は大工として長年働いてきました。17歳の時に高鍋の訓練校を卒業後は大阪へ修行に。その後地元都農町に帰って来て約50年間。脳出血を患っていなければ76歳の今もまだ現役だっただろうとおっしゃるほど、当時は大きな病気もしたことがなく、コレステロール値、血圧も正常、たばこも吸わないお酒も家でたしなむ程度で健康そのものでした。重たい木材も1人で担ぐほど力も強く、スポーツ万能で足も速かったという和夫さん。
そんな和夫さんには大きな目標があります。
「太鼓がドンと鳴ると血が騒ぐとですよ。もういっぺん担ぎたいなという気持ちはあります。」
都農町には、一之宮都農神社 夏大祭という、毎年8月1日と2日に行われる夏の恒例イベントがあり、町民から代々愛され続ける盛大な祭事があります。黄金の御神輿と4台の太鼓台が威勢のいい独特の掛け声と共に町を練り歩きます。2日の夜にこれらの太鼓台が激しくぶつかり競り合う、正直危険を伴う迫力のあるイベントです。しかし、都農町民はこの祭りが大好き。祭り当日は、県外にいる町民も帰省し、多くの若者達が太鼓台を担ぎます。
和夫さんはその太鼓台をもう一度担ぎたいという希望があります。
奥さん:最後あたりは歳やから会計にまわってたんだけどね、宮入りの時は抑えきれなくて担いでたのよ。えー!お父さん、太鼓台担いでるよー!って娘と大騒ぎ。笑
和夫さん:40年くらい担いでたからね。祭りの後は3日くらい太鼓の音が耳から離れんよね。笑