「やさしい気持ちを持つと行動が変わる」私にとっての地域共生社会は“息子との関わり”がベース

ローカルけんこうメディア「つのまる」のとりくみのコーナーでは、私たちの暮らしを支えるさまざまな職種の専門家へインタビュー・取材を行い、それぞれの視点から見た「地域共生社会」についての記事を公開しています。

今回は都農町役場・福祉課課長、黒木小百合さんから見た地域共生社会。小百合さんにとっての地域共生社会には、息子さんとの関係性が大きく関わっているといいます。はたしてその関係性とは?ぜひ最後まで読んでみてください!

「支えているつもりだったけれど支えられていた」がベースに

——2021年に福祉課に異動され、実際の現場で「地域共生社会」に向き合ってこられた今の実感を聞かせてください。

とても難しいです。「地域共生社会の実現」が国の政策に盛り込まれたのは2016年からなんですが、実はそれよりも前に自分なりに調べたことがあるんですよ。リハビリ系の大学に通っていた次男の論文が、地域共生社会についてだったんです。

だから理論的なものは分かっているつもりでした。立場や場所が違えば見え方も違うということもなんとなく分かっていて、まちづくり課にいたときはピンときていたんです。

ところが、福祉課に来たら分からなくなったんですよ。地域共生社会の定義に「支え手・受け手の関係性を超えて…」とありますが、それは第三者や支える側の概念だと思っていて、いわゆる“受け手”の人、支えられる側の人はそう思っていないんですよね。

福祉課に来て「本当に困っている人」の困り度がまったく違うことをあらためて思い知りました。地域共生社会でいう「困り感を持っている人」 とは層が違い、支え続けることが必要な人もいます。

だから「『地域共生社会の実現』は簡単に言えることではないな」「私が理解していたものと現実はだいぶ離れているな」というのが今の実感、正直な思いです。

——「地域共生社会」という概念を伝えるのは非常に難しそうですね。

そうですね。特定の層への支援はしっかりとしつつ、地域になるべく多くの支え手をつくることは必要だと思います。でも、人っていきなり「こうしましょう」「ああしましょう」と言われても、マインドがしっくりこなければできないですよね。だから地域づくりの前に、まずはマインドや考え方が育まれるようなしくみやしかけを考えていくべきなのかなと個人的には思っています。

先日、ある講演会で「私にとっての地域共生社会は、息子との関わりが基本です」という話をしました。長男は重度の知的障がいがあり、理解してもらえないこともあるし、生活の自立はできません。その息子との支える・支えられるの関係性でいうと、私はずっと“支える”だけだと思っていたんです。

でも長い人生の中で、「結局は彼によって生かされていた部分が大きかったんだな」と気づきました。あらためて「どちらの方が支えられてきたんだろう」と考えると、「もしかしたら私の方が支えられてきたことが多いかもしれない」と思います。それが私にとっての地域共生社会のベースになっているんです。

これは私と息子の場合ですが、それに似たような感覚が生まれるようになれば、支え手・受け手の関係性を超えられるのかもしれません。「支えているつもりだったけれど支えられていた」と自然に思えるのが、地域共生社会のベースになるのではないでしょうか。それを実現するためにはどのようなしくみや働きかけが必要なのかを考えていきたいです。

——「支えているつもりだったけれど支えられていた」と思った具体的なエピソードはありますか?

それはもう数限りなくあります!でも、そう思えるまでにとても時間がかかりました。今でも時間がかかったことへの後悔があったり、「もう一回やり直したい」と思ったりもするけれど、きちんと受けとめられるようになったことで違う景色が見えてきたんです。

「きっと息子がいる私だから周りから信頼をもらえているんだろうな」と思うんですよね。仕事においても“何も知らない人”ではないので信頼してもらえますし、息子にやさしく接することで、周りが私にもやさしくしてくれていることに気づきました

福祉関係の仕事は特に同じような痛みを経験している方が説得力があります。息子がいなかったら私はとても薄っぺらい人間だったかもしれません。だから経験を持てたことはよかったと思います。

今は息子の行動一つひとつをおもしろがれるようになったんですよ。それはきっと余裕が生まれたからなんですよね。

——そうした余裕が持てるようになったのは、何かきっかけがあったんですか?

“時間”ですね。いろいろなエピソードはありますが、一つひとつの積み重ねだと思います。以前は「これからどうしていこう」という不安の方が大きかったですし、目の前の息子に対する不憫さのような気持ちが強い時期もありました。

でももう痛みはないんですよ。記憶には残っているけれど、痛みがなくなったところから向き合えるようになったと思います。

常に“やさしい気持ち”を持っていたい

——障がいという分野での対応と、高齢者や生活困窮者、子育て世帯などへの対応とで、共通するところはありますか?

直接の対応ではないのですが、自分の中でいい意味であきらめがつくところはあります。どんなに頑張ってもどんなに努力してもできないことがあるので、そうしたことへのあきらめ・理解のようなところは耐性があると思います。

それから目の前の人を「なんとかしてあげたい」「なんとかできないかな」という興味・関心も、息子との関わりの中で持つことができましたね。

——国の政策と実際の現場、両方を知っている小百合さん個人として、つのまるの読者に伝えたいこと、感じてもらいたいことはありますか?

俗っぽい言葉になりますが、私はどの分野においても「やさしい気持ち」が必要なんじゃないかなと思います。そうした気持ちを持っているだけでも行動が変わってきたり、楽しいことが見えてきたりするんですよね。私は常にいろいろなことに対してやさしい気持ちを持っていたいです。

——やさしい気持ちを持ってもらうために、行政としてどのようなことをやっていくべきだと思いますか?

特定の層・当事者への支援だけでなく、その層を実際に支えているご家族などへの支援・エールを政策にしたいと考えています。本当に必要なものを見極めるのは難しいのですが、支えている人たちの負担を減らせる、かつ持続可能なしくみをどうにか形にしたいです。

私がときどき講演の依頼を受けるのは、自分の経験を話すことで「こういう風に(子育てを楽しめるように)なれたらいいな」と思ってくれる人がいるかもしれないという思いがあるからです。私のように(ハンディキャップを持つ子どもとの関わりを)おもしろがれる余裕が生まれたら、支えている人自身も幸せだと思います。これは勝手な思い込みですが、親が幸せだったら子どもも幸せに違いないと思うんですよね。

——同じような境遇の人の話は支援の一つになるかもしれませんね。単純に「話を聞いてほしい」というニーズはあるものですか?

はい、話を聞くことはとてもいいと思います。今後はそうした役割を社協が中心に担えるようミーティングを重ねているところです。役割でいうと福祉課は制度に基づいた支援が中心になるので、社協との連携を強めることでつくっていけるものがあると思います。

福祉はおしつけるものではないですし、いかにも福祉だと分かりやすいしくみは受け入れられにくいことも長年の経験から分かっています。大事なのは、暮らしの中にしのばせられるしくみをつくることなんですよね。

・前回の都農町社会福祉協議会へのインタビュー記事はこちら

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