あきらめる
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ひょんなことから、「あきらめる」という言葉を調べてみました。
見込みがないと断念する、無理だからやめるといったネガティブなイメージを持っていましたが、「あきらめる」という言葉は仏教の教えからきているそうです。
「諦める」と書き、物事を道理や真理に基づいて諦(あき)らかに観ていくということ、「諦」という漢字は「いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせる。」という意味があるようです。
悩みや苦しみは執着の心が生み出している、諦らかに観ることで、しがみついた想いを手放し、気持ちも楽になる。中途半端に投げ出してあきらめる、状況を明らかにしたうえであきらめる、心の持ちようが随分変わりそうです。
この文章を書いた人
桐ケ谷 大淳(きりがや だいじゅん )
大阪府出身。2001年、滋賀医科大学卒業。社団法人地域医療振興協会にて地域志向型研修を受け、へき地の診療所で所長を務める。2012年に子育て環境を考えて、妻の実家のある宮崎県へ異動。地域の病院での在宅医療部門の立ち上げや、大学での教育に携わり、2020年4月から都農町にて勤務。ワーク・ライフ・バランスを良くしていくことが、ここ数年の課題。最近の趣味は、子どもたちとサッカーをしたり公園で遊ぶことです。
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