宮崎県出身の歴史的医学者といえば
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皆さん、宮崎県出身の歴史的医学者といえば、誰を思い浮かべますか。
高木兼寛(たかき かねひろ)(1849-1920)をご存じでしょうか。
北里柴三郎とほぼ同世代を生きた方ですが、ビタミンの父と呼ばれています。
いろいろな種類のあるビタミンですが、ビタミンB1が足りなくなると「脚気(かっけ)」という病気をおこします。脚気になると食欲が落ちたり、全身がだるくなったり、神経障害により足元がおぼつかなくなったり、重症化すると心不全を起こして死に至ることもあります。
この文章を書いた人
桐ケ谷 大淳(きりがや だいじゅん )
大阪府出身。2001年、滋賀医科大学卒業。社団法人地域医療振興協会にて地域志向型研修を受け、へき地の診療所で所長を務める。2012年に子育て環境を考えて、妻の実家のある宮崎県へ異動。地域の病院での在宅医療部門の立ち上げや、大学での教育に携わり、2020年4月から都農町にて勤務。ワーク・ライフ・バランスを良くしていくことが、ここ数年の課題。最近の趣味は、子どもたちとサッカーをしたり公園で遊ぶことです。
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